難破船まじやみの冒険

迷いながら日々生きています

挫折の話

僕の育った家族は、俗にいう「野球一家」だった。

僕の父親は学生時代に野球に打ち込み、その後も職場の草野球チームでプレーしたりするくらいに野球好きだった。

その父の野球愛に、長男である僕はまんまと巻き込まれた。

それなりに野球が身近な環境で育ったが、あんまり男の子らしい遊びが好きではなかった僕は、そこまで野球に対して特別な感情を抱くことはなかった。ただ、野球をやってほしそうな父の熱意に負け、小学二年生の冬に地域の軟式少年野球チームに入った。

 

手前味噌みたいで嫌なのだけれど、父は高校時代にピッチャーをやっていて、甲子園一歩手前まで行ったのだとか。とはいえ父の背番号は17番で、チームのエースは別の人だったとか、でも実力ではそんなに劣ってなかったとか、父は実は大会前にけがをしてたとか、とにかくいろんな話を聞いたような気がするけど、子供心にどうでもいいやと思っていた。

現役時代のことは眉唾だと思っていたとはいえ、父の少年野球の指導者としての力量はそれなりにあったようで、僕自身もイヤイヤながら父の指導を受けて、少年野球ではそれなりに活躍した。飛んでくるボールが怖くて守備は壊滅的にヘタクソだったけど、県大会では優勝チームのエースからスリーベースを打ったこともあったと思う。けれどもそれは、毎日父が半ば強制的に、僕に素振りのノルマを課していたりしてた成果に他ならなかったし、僕のそれなりの活躍も、同じチームの低学年の部でキャプテンを務めた弟の活躍の前ではかすんだ。

日頃はやさしい父だったが、野球に対する姿勢を弟と比較されて、叱られたことも多々あった。見かねた母は僕に通塾と中学受験を勧め、僕は半ば野球から逃げるため、勉強に走り、結果として第一志望の私立中学に合格した。勉強という大義名分を手に入れた僕は、野球をやれという圧力から完全に脱することに成功した。

とはいえ、代わりに何かに熱中することもなく、勉強もそれなり、趣味もそれなり、部活もとっかえひっかえで、大学も何となく受かったところに行った。大きな挫折もなかったが、挫折するほどなにかに一筋に取り組んだ経験もない。

 

話は変わって、僕には4つ歳の離れた弟がいる。彼は僕と違って男の子らしいやんちゃな性格で、父が僕をキャッチボールに誘うと、いつもそこに割って入ろうとした。弟は小学生になるとすぐに僕と同じチームに入り、将来の夢はプロ野球選手だとあちこちで吹聴していた。当然、父は野球を「やらされている」僕よりも、次第に弟の方に力を入れるようになっていった。

野球からドロップアウトした兄とは対照的に、弟は順調に少年野球でキャリアを重ね、中学進学を機に硬式野球のクラブチームに入った。そのチームは近隣地域の中ではわりと強豪のようで、週末に加えて平日も週3回夜間練習があり、そのたびに隣町まで練習に通っていた。土日は練習試合のために関東近郊まで遠征することも少なくなく、送迎や当番のために保護者が駆り出されるのは日常茶飯事。弟の野球が次第に我が家の生活の中心になっていった。

地域の少年野球で無双していた弟だが、強豪クラブチームの中ではギリギリレギュラーになれるかどうかという様子だった。僕は家庭内でも弟の野球からはだいぶ距離を置いていたのでうすぼんやりとしか知らないけれど、肘をケガしていたとかいう話も聞いたことがあるような気がする。

無関係な立場から見ていた僕としては、そこまで大変な思いをしてまで、クラブチームで野球を続けなきゃいけないものなのかと思っていたし、同じチームで中心として活躍する子(そのうちの一人は一昨年のドラフトである球団に指名されて実際にプロになったらしい)たちと弟は、実際体格の面からも差が出始めていたから、そろそろ野球だけじゃなくて、いろんなことを視野に入れてもいい頃なんじゃないかと思っていた。

中学の卒業が近付いてもプロになるという目標を捨てなかった弟は、野球を続けることを高校選びの主眼に置いて、実際にそういう学校に進学していったようだ。というのも、弟が高校に入学する頃、僕は一人暮らしを始めることになり、実家を出たからだ。

その後、家族とはたまに連絡を取り合うくらいの付き合いになったので、弟が高校野球でどんな様子だったのかについては、あまり深い事情は知らない。でも弟が高校でエースになったとか、大活躍したとかいう話も聞かなかったから、たぶんそれなりで終わってしまったんだろう。野球部は最後までやめなかったみたいだけれど、だからといって現在野球にかかわる仕事をしているわけでもなく、普通に暮らしているらしい。たまに実家ですれ違うこともあるけれど、一緒に暮らしていたころからは、もう8年の月日が経っている。

 

野球のことについて弟とじっくり語ったこともないし、彼がなぜ野球をずっと続けていたのか、その理由を僕は理解できなかった。というか、理解する気もあまりなかった。

本心のところで、僕はひとつのことをずっと続けた弟を尊敬し、羨ましく思っていた。その一方で、彼のことを認めてしまったら、それは野球から逃げた僕自身の人生を否定することになってしまうんじゃないかという恐怖もあったと思う。

だから僕は「プロ野球選手という夢を持って野球を続けていたとしても、その願いが実らなければ何の意味もないじゃないか」とか「自分の力量を知らず、ダラダラと叶わない夢にすがっているのは、現実から目を背けていることを美化しているだけじゃないか」とか思いながら、彼の人生を横目で見ていた。

 

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舞台1518の千秋楽のカーテンコールで、辻本さんは野球を諦めるシーンを演じるうえで味わった苦しみについて語ってくれました。

その表情から、涙から、振り絞るように話す声の震えから、その苦しみの大きさは痛いほどに伝わってきました。そしてその苦しみを乗り越えるために、辻本さんがどれだけの努力を積んできたのかを、僕は想起させられました。

しかし「野球やったことないヤツ」である僕には、どんなにその気持ちに寄り添おうとしても、それがうまくできませんでした。

 

そしてその瞬間から、ずっと僕は形容しがたい苦しさに襲われています。

「ありがとう」「お疲れ様」「かっこいい」「大好き」……そのどれでもない種類の感情が、胸の中に渦巻いているのを感じます。

 

こんな醜い話を、わざわざブログでしなくても……と、思わないでもありません。でもこの青春舞台の清々しさの余韻を借りて、自分のハラの中身と向き合ってみようと思います。

 

いまの僕を苦しめるその感情をあえて言葉で表現するならば、それは「悔しい」なんじゃないかと思ってます。

 

 

大きな舞台で躍動する辻本さんを見ると、僕はその活躍を喜ばしく思う一方で、いつも得体のしれぬ苦しさを感じていました。

その原因はしばらく分からなかったのですが、僕は辻本さんの美貌の虜となったしがないオタクでありながら、同時に彼のような人間になりたいと憧れている人間でもあるらしいということに、最近気づきました。

 

ボイメンというど根性をウリにしているグループを推していると、その力強さに毎日のように勇気をもらっています。

辻本さんを目標に頑張る!と言いたいし本当に言うこともあるけれど、挫折することすらできないようなヌルい人生を歩んできてしまった僕にとって、ひとつのことにひたむきに努力してきた辻本さんは、目標にするにはあまりにも遠い存在です。

そしてそれは過去の話だけでなく、ぼんやりしたオタクとしてのうのうと生きている自分と、(告知のために鼻を折りながらも)自分の過去の苦しみに胸をえぐられながら努力を積んだ辻本さんの間の距離は、今この瞬間もどんどんと広がり続けています。

凡人には手の届かないくらいにビッグでかっこいい辻本さんだからこそ、僕もずっと追いかけていたいと思わされてしまうのですが……だからといって辻本さんを「特別な人間」であると、線を引いてしまいたくはないという思いが、僕の胸のどこかにあるらしいのです。

 

おかしな話だと、僕も自分で思ってました。

努力もしてないヤツが、努力して成功したひとを羨むなんて筋違いもいいとこだと。弟のことを認められなかったあの頃の自分から、何も変わっていないじゃないかと。

 

でもじっくり考えるうち、いまの僕が感じている感情は、もしかしたらそういうのとはちょっと違ってきているんじゃないかという気がしてきました。

 

辻本さんはすごい人で、そんなことは僕よりも古くから彼を見続けている人からしたら、当たり前すぎて欠伸が出るほどの事実でしょう。29年の人生の中で、彼は日々努力を積んだことで、ここまでのし上がってこられました。

だから、もし僕がこれからどんなにがんばったとしても、辻本さんの背中に追いつける日が来るはずもないということは、痛いほどにわかっているつもりです。むしろ辻本さんの進む速度に追いつくことすら、僕にはきっとできないんでしょう。

でも、敵わないからと言って、彼の背中を追いかけることをやめたくはないと、僕は思っているようなのです。

 

どんなに最前でステージに近い席だとしても、その客席と舞台の間には、目には見えない無限の距離があって、それが一般人と芸能人の世界を分けているのは事実です。

だけれども、僕と彼の間に一本線を引いて、あなたは僕と別の世界の人間だとは、考えたくない。

 

そう思うのは、ひとつには彼と実際に会うことが出来て、お話や握手やツーショができるからなのかもしれません。わずかでも彼の時間を奪う者として、最低限の資質を備えた人間でありたいと思うからなのかなというふうに、思うことがあります。

しかしそれよりももっと大きな理由があって、それは僕が彼を「違う人間ですよ」と言ってしまうことが、いまの辻本さんを作り上げてきた彼の努力を、すべて否定してしまうことになるような気がしてならないから、です。

 

辻本さんは世界が羨むくらいにかっこよくてきれいなお顔をしていて、ときたま神様の生まれ変わりなんじゃないかと疑う時もあるけれど、たぶん根本的には僕と同じ「人間」としてこの世に生まれています。

そしてこの世に生まれ落ちてからの30年、時には挫折を味わいながら、その輝きをずっと磨き続けて、いまでは世界中に元気や勇気を与える存在になっています。その辻本さんに救われ、勇気をもらい、僕はいまやっとこさ生きています。

だから僕は、絶対にかなわないとわかっていながらも、彼の努力に敬意を払い、辻本さんが僕に与えてくれた勇気や元気が本物だということを証明するためにも、彼の背中を追い続けなければいけないと思うんです。

その苦しみから、今度こそ逃げてはいけないと思うんです。

 

 

 

僕はこれからずっと、輝く辻本さんの姿を見るたび、たくさんの喜びをもらうととともに、無意識に自分を比べては、そのたびに強烈な劣等感に襲われながら生きていくんだと思います。

それでも、辻本達規に憧れ続けることを、諦めたくはない。

この人生でやっと見つけた「夢」だから、それだけは挫折したくない。

 

そう思えるようになったことに、僕は最近気付きました。

 

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彼の人生を肯定できなかったあの頃から8年の月日が経って、聞くところによると、弟はいまそれなりに近い距離のところに住んでいるらしい。

こんなにも長い間、会おうと思えば会える距離にいた弟を避け続けていたのはなぜか。

それは僕自身が自分の人生を肯定できずにいたことと、そしてこんなへっぽこな僕にも「兄」としてのなけなしのプライドがあったせいなのかもしれないな、と思ったり。

 

今はまだ整理がつかないけれど、いつか弟のことも認められる日が来るといいなと、少し思えるようになってきた。