難破船まじやみの冒険

迷いながら日々生きています

未成熟からの卒業

8月3日に栄第七学園男組の番組内で、ボイメンの新曲「Oh Yeah」の音源が初公開となりました。

新曲が出る!という喜びはもちろんあったのですが、正直音源が解禁されるまでは、リリースが通常通りに行えないという寂しさがどこかに消せなくて、なんとなくモヤモヤした状態でいました。

 しかし、曲を実際に聞いてみて、僕の中ではいまのところ、感動や喜びというポジティブな感情がネガティブな感情をかき消すに至っています。

直接会ってファンと感動を共有するタイプのグループであるボイメンは、このコロナ禍はとんでもない逆風だったに違いありません。(マジで事務所潰れない?大丈夫?って思ったりしますし…)しかしそこは「向かい風を乗りこなす」ことに定評のあるボイメンでした!自らも逆境の中にありながら、社会全体に蔓延する重苦しい空気を振り払うような、とても力強いメッセージを届けてくれました。

その新曲「Oh Yeah」を聴いたとき、曲自体のメッセージはもちろんですが、ここ最近のボイメンというグループの目指す方向性が、昔とは少し変わってきているのではないかという気付きを得ました。

※よりによって今回も完全に新規オタクの妄想&妄言ブログです。本当にすみません🙇‍♂️

 

 

ざっくりと言ってしまえば最近のボイメン、「無理なくカッコつけられるようになってきた」ように思えるんですよね。

 

ボイメンというグループはアイドルを自称せず、あくまで「名古屋の町おこしお兄さん」という呼び方で自らを定義してきました。

また、彼らがいままでリリースしてきた楽曲を見ても、やはり世のアイドルが身に纏うような「アイドルとしての正統派キラキラ路線」というのはあまり見られないんですよね。

ボイメンはそもそも「変形学ランを身に纏ったヤンキー集団」というコンセプトで売り出し始めたわけですが、ヤンキーという概念自体が「正統派キラキラアイドル」とは正反対といっていいほどに外れたところにあるわけです。

また、ヤンキー集団としての活動の傍、ボイメンは「お笑い」への挑戦も連綿と続けてきました。

初期から漫才やコントなどのジャンルへの参戦を試み、大規模ライブでは必ずコントパートを設け、冠のコント番組ではほぼ毎回体を張って貪欲に笑いをとりにいく姿勢は、やはりアイドルとしての一般的な姿とはかけ離れたものですよね。

 

 

 

 

さて、突然の私事で恐縮ですが、不肖まじやみはその音源解禁日に27歳になりました。

特段宣伝はしていなかったのですが、誕生日だということに気付いてくれた友人が何人かいてくれて、すごく幸せなことだなあと思ったりしたのでした。

27になったことをきっかけに、というわけではないのですが、僕の中のマインドセットに若干のマイナーチェンジがここ数カ月のうちに起こっていました。

 それはひと言でいえば「かわいいからの脱却」というヤツです。

 

大学生の頃に僕は「自分が全くかわいげのない人間である」ということに気付いてしまいました。

ここでいう「かわいい」とは、見た目の美醜の話ではなく、「愛される力」のことです。素直に自分の感情を表現できない。他人の言葉をまっすぐに受け入れられない。すぐに知ったかぶりや皮肉や批判ばかり口にして、場の空気を壊してしまう。自分がそんな人間であるということに、やっと気付いたのです。

出来ないことばかりで、取り立てて得意なこともなかった僕は、その先の人生をなんとか生き抜いていくために、人にかわいがってもらえる人間にならなければと思い、そのための方法を模索しました。

ちなみに、そのときに出会った本がこちら。

www.amazon.co.jp

 

かわいいの本質について、学者先生が大真面目に議論をした結果がこの本には記されているのですが、その中で「かわいい」の要素として「ちいさい・懐かしい・子供っぽい」という未成熟さを挙げています。(ざっくり要約)

かわいい人間になるためには、未成熟であることを隠してはいけないと。できないことをできないと認め、助けを乞い、ちゃんと人に甘えられる人間にならねばと。「しょうがないな」と笑ってもらえる人間にならなければ、鬼ばかりのこの世の中、僕のような人間には渡っていくことは到底できないだろうと。そんなことに気付いてから、僕はかわいい人間になることを意識的に目指すようになりました。

あれから6~7年の時が経ち、僕がかわいい人間になれたかどうかはわかりませんが、なんとか周りの方々に助けてもらって僕は生きながらえてきたので、細かいことはよしとしましょうか。

しかし最近、全く別のところで「かわいい」の限界を感じるようになってきました。

 いままで着ていた服がしっくりこないのです 笑

 

気付いたきっかけは推しとのツーショの写真だったのですが(これに関してはツーショ文化にマジで感謝してます🙇‍♂️)、もしかして僕は、かわいいを求めるがあまり、年齢に見合わないすごく幼い服装をしていたのかもしれない……そんなことに気付いてから、20代の前半に必死に追い求めてきた、「かわいい」からの脱却を、そろそろ目指さなければいけないのかもしれない。そんなことを感じるようになってきたところです。

 

 

 

閑話休題

 

「かわいい」という概念は、「美」とは明確に異なるものだということが出来ます。

 

 「美」という概念は太古からさまざまな哲学者たちの議論の対象になってきており、こんなところで薄っぺらいブログを書いてる僕にはそのすべてを網羅することは不可能なのですが……それでもあえて「美とは何か」という問いに答えるとするならば、それは「完成・成熟している」ということだと思うんですよね。美とは崇高さに似た概念であり、それゆえに近寄りがたさを感じられたり、反感を買ったりすることも避けられません。

一方で「かわいい」とは先述のとおり、未成熟なものに宿る概念です。赤ちゃんがかわいいのは外敵からの攻撃を避けるためだと言われることもありますが、未成熟なもの・かわいいものは、一般的に外部からの攻撃にさらされることは少ないのではないでしょうか。

 

男性アイドルの世界における『美』とは、すなわち「キラキラしたカッコよさ」のことだと思うのですが、ボイメンは正統派の「カッコよさ」を気取ることをなるべく避け、それによって勢力を拡大してきたグループなんじゃないかなと僕は勝手に思っています。

 結成当初は「何も持たない男の子たちの集まり」であったと語られるボイメンですが、当時何者でもなかった彼らは、芸能界に爪痕を残すために「自分たちは何のとりえもない!ただし元気とやる気だけはあります!」という体育会系な売り出し方をしていくのでした。

これは僕が「かわいい」を追求したのと同じように、敢えて未成熟であるということを前面に押し出していく戦法だったと思われます。(これ自体は他グループでも一般的に取り入れられているように思います)

イケメンアイドルグループとして、自分自身にメッキをかけてキラキラを演出することももちろん可能だったはずです。しかしボイメンはあえてヤンキースタイルやお笑い路線に挑み、「キラキラしたカッコよさ(=美)」からの距離を保つことによって、少しずつ共演者やスタッフ、そして地元の人たちから「かわいがられる」存在へとなっていったのではないかと思うのです。

このあたりの様子は当時の楽曲からも読み解くことができるかと思います。古くは「Straight Drive」や「Voyager」に始まり、「Wanna be」や「B.M.C.A」くらいまで、歌詞の中でも自らの未成熟アピールがみられます。

青々しさを売りに駆け出したボイメンですが、平均年齢が少しずつ上がり、グループやメンバーが知名度を獲得していくにつれ、少しずつ「未成熟」から「成熟」への衣替えを始めていきます。そのきっかけとなるのが、メジャーデビュー曲の「YAMATO☆Dancing」だったと思うんですよね。紅白出場を本気で狙いにいったこともあり、ヤマトはボイメンの歴代の曲の中でも、特に「成熟」した姿を演出しようとした曲のように思います。

ただし、その後の「帆を上げろ」「(友ありての中の)UFO」「進化理論」「炎・天下奪取」と、脱ぎ芸あり・女装ありのコミカル路線の復活(タイアップの兼ね合いももちろん無視できませんが)をみると、ヤマトの試みはやや時期尚早だったという判断だったのかもしれません。

 

ボイメンが再び「カッコいい」路線に足を踏み入れるひとつの転換点となるのが、「頭の中のフィルム」だったと思います。カップリング曲の「夢chu☆毒」まで含めて、このシングルでは「かわいい・あざとい」や「お笑い」といった小細工をほぼ封印しており、スマートな平成晩期・令和前夜の風潮の中で、敢えて昭和のノリを踏襲した「ボイメン的カッコよさ」を前面に打ち出していますよね。それまでの衣装がド派手な刺繍の入った学ランだったのに対し、フィルム学ランは真っ白のシンプルなつくりになっているのも、カッコよさの真っ向勝負なのかなという風に受け取りました。

この路線は次のシングル「ガッタンゴットンGO!」の「粋やがれ」にも引き継がれていますし、GGG自体もアニメのタイアップ曲にしてはかなり落ち着いた、そしてメッセージ性の強い曲だったように思います。

 

その流れの中に、今回の「Oh Yeah!」はあるとみてよいと思います。

最初に公開になったジャケ写の時点で個人的にびっくりしたのは、Oh Yeahの文字があまりにシブい筆字だったことでした。漢字が刺繍された新学ランも、これまでと比べて随分とシンプルな作りになっています。(いや、ふつう「タイトルはOh Yeahです」って言われたら、もっとポップでスタイリッシュなヤツを想像するじゃない…いや…めちゃくちゃ好きだけどさ…)

そして歌詞も(まだ正式な歌詞の公開には至ってはいませんが)とてもストレートに「負けるな」「がんばれ」のメッセージを訴えています。こんなにもまっすぐに力強いメッセージを、J-POP隆盛の時代を謳歌したビーイング系を思わせるような、小細工なしの王道メロディに乗せて歌うなんて、そんなことができる人たちは、たぶん令和の世においてボイメンを他にいないと思うんですよね。めちゃくちゃカッコいい。

この流れで行けば、今後公開されるであろうOh YeahのMVも、おそらくおふざけナシのめちゃくちゃ渋カッコいいものが上がってくるんだろうなと、今から期待に胸を膨らませています。

 

ちなみにボイメンは自らの「カッコいい」と対峙するようになった、という文脈でお話をしてきましたが、この「ボイメン的カッコよさ」は突然現れたものではなくて、今までのボイメンがずっと持っていたものでした。それはコミカル路線を採ったUFOや炎天下でも見られるような「どんなことでも全力でやり切る」という潔さからくるカッコよさであり、世間一般のアイドルが持つキラキラなカッコよさとは、少し質が違ってきます。

何も持たない原石だった彼らは、10年もの年月の間「諦めなければ夢は必ず叶う」の言葉の下で、さまざまな困難に立ち向かいながら、ファンに、名古屋に、日本に元気を振りまいてきました。その経験に鍛えられたことで、彼らはまるで鋼のような、彼らにしか出せないカッコよさを身に着けていったんだと思います。これはやはり一般的なアイドルの持つ「キラキラ」したカッコよさではなく、本田くんの言葉を借りれば「ギラギラ」した、彼らなりのカッコよさなわけですが、彼らはギラギラした輝きを手に入れたことで、「未成熟」の呪いから解放されたと言えるのではないでしょうか。

その意味でいえば、冒頭で僕が述べた「無理なくカッコつけられるようになってきた」という表現はやや不適切と言わざるを得ず、「わざわざカッコつけなくてもカッコよさが滲み出る存在になった」あるいは「ボイメン的カッコよさが確立された」という言い方が正しいのかな、という気がしてきました。

 

 

なんだか新曲の感想じゃなくなってきちゃったな、などと思いながらこの文を書いている僕自身は、まだ自分なりのカッコよさを見つけたわけではありません。ただ、もうそろそろ「未成熟」を言い訳にして生きていられる期間は、そんなに長くないぞということには、なんとか気付けたようです。そしてそのタイミングで出会ったOhYeahは、僕にとって「お前もこっち側に来いよ」というボイメンからのメッセージのように聞こえてしまったのは、きっと僕がボイメンと同じ世代の人間だからなのかもしれないなと思うなどしました。

 

「かわいい」に軸足を置いていた頃の僕は、年を重ねることに対して、かなりネガティブな感情を抱きながら日々を過ごしていました。自分も、そして同じ時空を生きている推しも、老いては次第に醜くなってしまうということに対する恐れゆえのことだったんだろうと思います。

でもこうやって、自らの積み重ねてきた生き様によって、自分自身のカッコよさを確立していったボイメン、やっぱりすごい人たちなんだな!と、改めてハッキリと惚れ直しました。笑

 

 

つまりこの長いブログを要約すると…

  1. きんぱつーじもめちゃくちゃかっこいいけど、これからどんどんかっこよくなっていくつーじをみれるんだぞ!楽しみ!
  2. 日本の片隅でパッとしない人生を過ごしている僕に「ボイメンみたいなカッコよさを身につけられるように頑張ってみようかな」と思わせるボイメンすごい!

 

以上!まだまだ僕の人生もこれから、ということですね🤔

 

 

p.s.この文章がなかなかまとまらないでいるうちに、なんとD.T.G.の公開が来てしまいました!ヒャダインさんのボイメンへの愛が詰まった渾身の1曲となってましたね!アイドルソング的なわちゃわちゃ感はありつつも、この曲の中に「前への推進力」を強く感じるのは、ボイメン的カッコよさの為せる技なのでしょうか。

もうひとつのカップリング曲の公開、そしてCDリリースが今から楽しみでなりません。