難破船まじやみの冒険

迷いながら日々生きています

ボイメンと中島みゆき

ファイト! 闘う君の唄を 闘わない奴らが笑うだろう

ファイト! 冷たい水の中を ふるえながらのぼっていけ

 

突然何があったかと思われるかもしれませんが、今回の舞台「諦めが悪い男たち」を見ていた中で、ボイメンを知って10カ月のニワカオタクは、この舞台の持つメッセージにある「既視感」を感じていました。それが冒頭に引用した、中島みゆきさんの歌う「ファイト!」という曲です。誰もが一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。

 

僕がみゆきさんに出会ったのはボイメンに出会うずっと前、それこそ暗黒の思春期ど真ん中の中学生の時でした。中学~高校生くらいの僕は昭和歌謡曲オタクだったので、みゆきさんに限らず、1970年代~90年代の曲をまんべんなく履修していた(おかげでカラオケのレパートリーが親世代とばっちり合致するので、よくよく周りの大人に年齢詐称を疑われる)のですが、中学生当時ささくれ立っていた(当社比)僕の心に、みゆきさんの言葉がずいぶんと沁みたものでした。

さて、中島みゆきの「ファイト!」というと、世間一般では頑張る人への応援ソングの定番のように思われているように思います。曲名からしてストレートに「ファイト!」ですし、みゆきさんの曲はメロディがとても馴染みやすいのが特徴なので、僕が「中島みゆきが好きなんです」って言うと、ファイト知ってるよ、階段から突き落とされる怖い曲だよね!って仰る方によく出会います。

でもこの曲の歌詞は、フルで読んだことのある人は分かると思うんですが、(もちろんサイコパス殺人鬼の曲ではないし、)単なる「ガンバレ」ではないんですよね。そしてこの歌詞が、今回の舞台を取り巻く状況と、そしてこれまでのボイメンの足跡とすごくリンクするなと思ったので、(そしてTwitterで「ボイメン 中島みゆき」で検索をしてもそういうことを指摘している人が見当たらなかったので)、不肖まじやみ、筆を執らせてもらった次第です。

 

あたし中卒やからね 仕事をもらわれへんのやと書いた

女の子の手紙の 文字はとがりながらふるえている

ガキのくせにと頬を打たれ 少年たちの目が歳をとる

悔しさを握りしめすぎた 拳の中爪が突き刺さる 

私本当は目撃したんです 昨日電車の駅 階段で

転がり落ちた子供と 突き飛ばした女の薄笑い

私驚いてしまって 助けもせず叫びもしなかった

ただ怖くて逃げました 私の敵は私です   

 彼女のラジオに届いたリスナーからの手紙から着想を得てつくられたと言われているこの曲の歌詞ですが、どうしてもこの曲の話題になると「子どもを突き飛ばした女」の話のセンセーショナルな怖さが前に出てきてしまう気がして、それがこの曲の理解を遠ざけてしまっている気がしてなりません。

ここで冒頭のサビが入り、2番に続きます

 

暗い水の流れに打たれながら 魚たちのぼっていく

光ってるのは傷ついて 剥がれ落ちた鱗が揺れるから

いっそ水の流れに身を任せ 流れ落ちてしまえば楽なのにね

やせこけてそんなにやせこけて 魚たちのぼっていく 

 2番でいよいよ「水の流れ」に逆らって泳ぐ魚たちが登場します。この「魚たち」は、1番で登場した「中卒だから仕事をもらえない少女」や「ガキのくせにと頬を打たれ」た少年たちを含めた人々を指しています。

この曲が一般的な応援ソングとは違うのは、この「魚たち」の闘いの相手です。これらの闘いは、自分の努力でどうにか結果を動かせるようなものではなく、個人には如何ともし難いような大きな障害に悩まされる人たち(曲中で登場するのは生まれた家の環境だったり、性差だったり、田舎の理不尽なしがらみだったりします)に対する応援歌なんですよね。「辛いことがあっても頑張ればきっとなんとかなる!」というような、楽観的な応援歌ではなく、「頑張ったってどうにもならないこともある。だけれども、その理不尽と闘うことをやめてはいけないんだ。」というメッセージが見えてきます。

これ、めちゃくちゃしんどいことを要求してる「ファイト!」なんですよね。既に「鱗がはがれかけ」て「やせこけ」るほど、限界まで頑張っている人に対して、それでも闘えと、闘い続けろと、みゆきさんはエールを送っているんです。

この後もまだまだ「闘う人々」が登場しますが、僕の文章構成力では収拾がつかなくなりそうなので、割愛してラストのフレーズに飛ばさせてください。(フルの歌詞が気になる方はこちらを参照ください http://j-lyric.net/artist/a000701/l000dd8.html)

ああ小魚たちの群れ きらきらと 海の中の国境を越えていく

諦めという名の鎖を 身をよじってほどいていく

小魚たちの姿を俯瞰で観れば、海の中を泳ぐ姿はキラキラ輝いて見えます。でもその輝きの根源は、先ほども登場しましたが、彼らが流れに逆らって泳ぐ中で傷ついてはがれかけた鱗なんです。

にわかながらボイメンの足跡を辿ってみると、彼らが達成してきた偉業の分だけ(むしろそれ以上に)、彼らが味わってきた悔しさもたくさんあることがわかります。僕も文字の上で、概念の上で、映像を通じて、その悔しさに共感してきたつもりでしたが、その悔しさのひとつを、リアルタイムで味わうことになってしまったのが、僕にとっての今回の「諦めが悪い男たち」だったような気がします。

コロナウイルスという大きな壁は、ボイメンがどんなに頑張っても消えることはありません。公演が中止になったのは、彼らの頑張りが足りなかったからではありません。頑張ったってどうしようもないことというのは、この世の中にいくらだって存在します。でも「がんばったけどどうしようもない、仕方ない」と聞き分け良くおとなしくしていたからといって、彼らの努力が報われるわけじゃない。先が見えない中で、必死に稽古を積んで「少しでもいいものを届けよう」と彼らがジタバタあがいてくれたからこそ、この曲の中で歌われている「諦めという名の鎖を 身をよじってほどいていく」魚たちと同じような輝きを、僕らの目に届けてくれたのではないでしょうか。

新参の僕はボイメンのハードなスケジュールを垣間見ると、お願いだから少し休ませてやってくれと、そんな気持ちに支配されることも少なくありません。そんなに頑張らんでもええやんかと、彼らのがむしゃらな生き方に理解が及ばなくなることもしばしばあります。でもやっぱり、そうやって頑張って頑張って、その努力が報われるかは分からないけれども、でも頑張り続けることでボイメンはここまで大きくなってきたのだろうし、彼らがボイメンを続けてきたおかげで、昨年僕はやっと彼らに出会うことが出来たんだなって思うんですよね。どんなに大きな障害に邪魔されたとしても、足掻くことをやめてしまったら海の中の国境も越えていくことはできないから、やっぱり彼らが頑張り続けてくれて、本当にありがとうって思うんです。

ちなみに僕はボイメンを見つけたきっかけがおはスタのつーじーという筋金入りの赤いオタクなので、喉の調子が思わしくない中でもGGGのリリイベを完走し、手術を経て再び喉が100%に戻らない中でも舞台を完成させた辻本達規が、鱗のはがれかけた魚にばっちり重なってしまいます。前回の記事では少しだけ僕の心境を漏らしましたが、やっぱり僕に出来るのは、彼の言葉を信じて見守ること。そして名古屋からテッペンを取るという、一見無謀にも見える挑戦を続けるボイメンに対して、「ファイト!」という言葉をかけ続けることなのかなと思ってしまいます。

 

それにしても、ここまでじっくりとみゆきさんの曲を聞き返したのは久しぶりでした。ボイメンやつーじーは僕の最近の推し遍歴の中でもちょっと異質な部類だと思っていたんですが、よくよく遡ってみれば中島みゆきとボイメン、めちゃくちゃ近いものがあるなってことに気付きました。確かにみゆきさんの曲はちょっと暗めの曲が多いんですが、TOKIOさんに提供した「宙船」や「本日、未熟者」だったり、諦めずに戦う強い人間を描いた歌もたくさんあるので……ボイメンなら、中島みゆきさんの曲をカッコよく歌いこなせるんじゃないか……あるいはみゆきさんに新しい曲を作ってもらうことも、もしかしたらもしかするのではないかなって、夢が膨らんでしまいます。

 

P.S.この記事はお蔵入りにしようかと思ってたんですが、まさか3/30の第七で吉原くんがリクエストしてくれたので勇気を出して世の中にリリースしてみようと思います。中島みゆきのファンとしても、ボイメンのファンとしても半人前の僕の文章ではありますが、どうかお許しいただけたらとおもいます。